推しの世界にもやっとする

 推しの世界にもやっとします。推しの世界はアイドル業界というか音楽業界というかざっくりエンタメ業界のこと(推しと呼ばれる人たちと推してる人たちとそこに関係している人たち)を指してます。ただ、もやっとしてるだけなので、誰かを非難したり否定したりしたい訳ではないのですが…。それにもやっとしてる気持ちをただ羅列してるだけの文章です。

 

 私は1年程前からあるグループのファンになりました。ファンクラブに入って、CDやDVDは予約して購入して、ライブにも行きました。こんなに熱心(私的には)に応援するのは初めてで、推しの世界に初めて出会いました。おおよそ1年間楽しい!という気持ちともやっとする気持ちがありました。浅い知識と浅い経験なのですが…新参者としてもやっとしたことを挙げてみます。

※私の好きなグループにもやっとしているのではなく、好きなグループを通してエンタメ業界全体にもやっとしていることを書いているつもりです。

 

もやっと①推し

 そもそも、推しっていつから言うようになったんですかね。推し=ファンという訳ではないようですもんね。推しは応援してる対象を指しているのに対して、ファンは応援している行為の主体を指してますもんね。私の推しは〇〇と私は〇〇のファンという文で比べると

私の解釈というか印象だと

推し→〇〇を応援してるという行為が中心にある(もちろん好きっていう大前提はあった上で)

ファン→〇〇が好きという気持ちが中心にある(その延長線上に応援するという行為がある)

というニュアンスの違いがあるかなと思います。

推しって言葉自体も、応援するって意味が大きいですし。どちらからというと推しって言葉の方が熱心に応援している印象を受けます。こんな印象もあってなかなか自分自身では推しという言葉を使うのに躊躇してしまいます。使いやすい言葉だなと思うのですが…。

 

もやっと②

推し活(推しは推せるときに推せ)

 メディアで推し活って取り上げてるのをみるようになりました。芸能人を熱心に応援することが世間に認められたという感じがします。私の体感だと、ちょっと前まではメディアや世間的に、芸能人だったりアニメの登場人物を熱心に応援している人はオタクと言われ変わった人という印象があったと思います。そう考えると時代は変わりましたね。好きなものを正直に好きって言える世の中になったのかなと思います。ここまでは腑に落ちるのですが、推しは推せる時に推せという風潮にもやっとします。たしかにそうなのですが。いつ芸能界を辞めちゃうかわからない、グループだったら解散、脱退は可能性としては0ではないし、もちろん応援する方にだって何かがあって応援出来なくなることがあると思います。だからと言って、私は不安や後悔を前提に楽しみを受け取りたくないなと思います。推しは推したいときに推そうはいかがでしょうか。

 

もやっと③

CDの複数形態、グッズのランダム売り

 同じものなんで何枚もいるの?って応援し始めて疑問でした。昔、よくオタクの人は同じものを3枚買う。1枚は観賞用、1枚は保存用、1枚は布教用。と言いましたよね。その時はなるほどなっと思いました。でもいま、ほとんどのCDが発売されると何で同じタイトルのCDにいくつも形態があるんですかね?複数買いを前提とした特典が付いてくるんですかね?まあ、売上のためっていうのが答えだと思うのですが。配信とかサブスクの台頭でCDを1人のファンが何枚も買わないと音楽業界は傾いてしまうのでしょうか。それとも、ランキングや記録のためなのでしょうか。それとも両方なのでしょうか。いつから私からみたら不誠実な売り方をするのが当たり前になってしまったのか。きっと買う方は、ランキングの上の方を目指すため応援したいし、形態は揃えたいし、抽選で特典がついてるなら確率をあげるためにたくさん買うけど、〇〇が好きって気持ちを悪く言うと利用されてるな…って感じないんですかね。私はCDは1枚で満足するタイプなので複数形態から1つ選んで購入しています。そんな私からするとそう感じてしまいます。あそこまでしないと保たないほど音楽業界は厳しいってことなんですかね…確かにCDショップなくなったら寂しいですもんね…。売る方も買う方もCD本体を本当に必要で欲しい枚数だけ売ったり買ったりできる世界になったらなと思ってしまいます。

 あとグッズのランダム売りにもやっとします。昔からビックリマンチョコとかガチャポンとかあるのでそういう売り方があるのは楽しみとして良いと思うのですが…。Twitterに溢れる譲と求にもやっとします。そんな、買う時に選べれば良いじゃん。譲るものまでお客さんに買わせるの…。買う方にもギャンブル的な楽しみもあるんだろうけども、限度があるし、グッズの一覧にランダム商品が並んでるともやっとします。今流行ってるんですかねガチャという文化が。ランダムグッズの開封動画とか見ると楽しそうですもんね。私も見ていて楽しい気持ちになります。推しがきたーって。

 

もやっと④数字

 再生回数、Twitterのトレンド、CDの売り上げランキング、数字を芸能人から求められると本人が見たりつぶやいたり買えばいいじゃん。と思ってしまうんです。私。特にCDとかを何枚も買って欲しいような発言があるともやっとします。私だったら、記録のために応援してる訳ではないなと。見たいから見るし、つぶやきたいからつぶやくし、欲しいから買うし。その延長線上でできることは自主的にしたいけど、それをもしも本人から求められる場合もやっとします。(特定の人をさしているのではなく、あくまで一般的な話です。)

 それに応援の仕方は千差万別で、マナーを守って応援してる本人が納得してるなら良いと思います。熱心なファンがいることは素敵だと思う。そういうひとたちのお陰で成立してることたくさんあります。私は数字はとにかく実状を表して欲しいなと思います。例えば1万人のファンが100回みて100万回再生される動画よりも100万人が1回みて100万回再生される動画であって欲しい。きっと多くの人がそれを目指している途中なのかもしれませんが。

 

 

 

 このもやっとすることも含んで全てを推しって耳障りの良い言葉でまとめて推しがいること、推してること=尊くて正義みたいな風潮になっているなと私は思うので、推しって言葉にもやっとするのかなと思います。エンターテイメントを提供する方も受け取る方も推しって言葉に甘えすぎてるな寄りかかりすぎてるなと感じます。それがダメと思ってはいませんがどこか引っかかってしまいます。多くのエンタメが目指しているのはたくさんの人に知られること(人気者になること)に対して、やっていることがコアなファン(推しの世界)向けになっている面が目立つからそう感じるのかもしれません。話は逸れますが、今の時代いわゆる絶対的スターがいないなと思っていたのですが、個人個人それぞれに推しがいるからなのかも知れないなとこのブログを書いていて思いました。

 

特に明確な答えはないのですが、以上が私の推しの世界にもやっとする気持ちでした。